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10小原宿~14上野原宿

[ 2025/04/12~ ]

■10小原宿(神奈川県相模原市緑区)



[ 中央高速道(2025 04 12)]


小仏峠からの山道が終わり舗装された道に出ると、再び中央高速道が見えてきます。 小仏トンネルは渋滞ポイントになっているので、トンネルの増設にあわせて前後の橋梁部分の増設工事が行われていました。 資材を運ぶのも大変そうな急こう配の斜面で、太く高さのある橋脚の工事が行われているのを見ると、最初から広い道路にしておけばよかったのにと思ってしまいます。 政治家が「国家百年の計」と口にしますが、将来を見据えている人はいないのでしょうか。



[ 小原一里塚跡(2025 04 12)]


小原宿への途中、中央線のガード下に「小原一里塚」の案内がありますが、一里塚は中央高速道の下になったとあるので、甲州街道は現在の道とは違うところを通っていたようです。 昔の甲州街道は舗装されていない山道なので、時の流れとともに場所も少しづつ変わっていきます。
底沢バス停で国道20号に合流すると小原宿はもうすぐです。 小原宿に入る手前に「小原の郷」という施設があり、本陣で使われていた食器や旅の道具が展示され、小原宿のジオラマもあります。 見学とともに一休みできます。



[ 小原宿本陣(2025 04 12)]


小原宿は本陣が現存し無料で見学できるようになっています。 茅葺の屋根はトタンでおおわれていますが、江戸時代後期に建てられた建物で神奈川県内で唯一現存する本陣です。 建てられてから間取りは幾度か変更が加えられたようですが、大きくは変わらずふすまの絵も残されていました。
2階は養蚕で使われていた時期もありますが、今は昔の農機具などの道具が展示さています。2階に上がると屋根の裏側が見えて、すすで黒くなった材木と茅が見られます。
本陣といえども長い年月と地震には勝てないようで、1階も2階もところどころに耐震補強のために筋交いが付けられていました。昔の建物は筋交いがなかったようです。



[ 小原宿(2025 04 12)]


小原宿は本陣のほかにも歴史的な建物が沿道に残っています。 残念ながら1895(M28)年に大火があったので、沿道の建物はその後に建てられた建物です。 大きな建物ですが旅籠ではなく養蚕農家として建てられそうです。


■11与瀬宿(神奈川県相模原市緑区)



[ 与瀬宿の国道20号(2025 04 12)]


小原宿は江戸側からの人や荷物を与瀬宿を通り越して吉野宿に継ぎ立て、与瀬宿は下諏訪側からの人や荷物を小原宿を通り越して小仏宿まで継ぎ立てる片継の宿場でした。 このため二つの宿場は2km弱しか離れていません。
距離は短いのですが、途中に階段で沢へ下りるところもあるので、地図を片手に歩いていないと街道からはずれてしまいます。 相模湖駅前付近は交通量が多いのですが、歩道がないところがあるので要注意です。



[ 与瀬宿本陣跡(2025 04 12)]


小原宿は本陣や明治期の農家が残されていましたが、与瀬宿はファミレスなども並ぶ今風の街道沿い風景です。 中央線相模湖駅が近いため、建て替えのサイクルが早かったのでしょうか。 与瀬宿本陣跡は甲州街道から一段高くなっています。現在は個人宅の庭になっているので立ち入ることはできません。本陣が残された小原宿とは大きな違いです。
訪れたときは街中のいたるところに御祭禮の提灯があり、お祭りの準備中でした。



[ 与瀬神社(2025 04 12)]


お祭りは甲州街道に面した与瀬神社のもので、与瀬宿を少し外れた街道横に大きな鳥居が立っています。 鳥居に誘われるように参道への階段を上ると、中央高速道に分断された参道には広場のような橋が架けられ、その先にも勾配のきつい階段があり見上げると山門が見えます。 山門にたどり着いてもその先に45度はありそうな急こう配の階段が待っています。 拝殿にお賽銭を入れるまでに疲れてしまいますが、相模湖がよく見えました。
階段の横には迂回できる道があるので、足腰に自信のない方はそちらをお勧めします。


■12吉野宿(神奈川県相模原市緑区)



[ まるで獣道(2025 04 12)]


中央高速道に架かる人道橋を渡り、しばらく歩くとほぼ昔の姿が残っていると思える道になります。 「甲州古道」と書かれた標柱が分かれ道の角にあるのですが、進行方向を示す矢印がないのは困りもので、ガイドブックが手放せません。この道でJR中央線の上を横断します。
相模湖IC入口付近からは、相模湖がよく見えます。相模湖を作り出した相模ダムは、太平洋戦争前から工事が行われ1947(S22)年に完成しました。 ダム湖の周りには「水力発電施設周辺地域交付金事業」と書かれた消防ホースの収納ボックスが目に付きます。 完成から80年近く経過しても周辺の地域にはダムの恩恵があるようです。



[ 吉野宿本陣跡(2025 04 12)]


高札場跡を過ぎると甲州街道は国道20号に重なります。 吉野宿の本陣は木造5階建ての威容を誇る建物でしたが、明治29年の大火で焼失しています。 跡地の案内板に陽に焼けて薄くなった写真ではありますが、当時の威容を見ることができます。
本陣跡の反対側に旅籠だった「藤屋」が、明治29年の大火で焼失し翌年に建てられた建物が相模原市の施設「吉野宿ふじや」になり、無料で見学できるようになっています。 この中に木造5階建ての本陣の小さな模型がありました。



[ 吉野橋(2025 04 12)]


本陣跡の甲府寄りに沢井川を渡る1933(S8)年に完成したアーチ橋の吉野橋があります。昔は大月市にある「猿橋」と同じ構造の刎橋があり、規模が小さかったため「小猿橋」と呼ばれていたそうです。 この頃は相模湖は誕生しておらず甲州街道は国道20号よりも下流側で沢井川を渡っていました。 湖面から水面まででも相当な高さがあるので、小猿橋まで沢を下り、再び上ってくるのは大変だったと思います。 吉野橋の有難さが実感できます。



[ 緑のラブレター(2025 04 12)]


JR藤野駅付近まで来ると、相模川の対岸の山に置かれた巨大な手紙が見えます。 「緑のラブレター」という地元の方の芸術作品で、新緑の季節になると手の部分が緑になり、森林からのラブレターが届けられる場面だそうです。
JR藤野駅のホームからもよく見えます。


■13関野宿(神奈川県相模原市緑区)



[ 舗装道のおわり(2025 05 03)]


中央線藤野駅から関野宿へは、国道20号から狭い階段を下りた擁壁横の道を進みます。 しばらくは両側に住宅が並ぶ舗装された道ですが、単管パイプの手摺が付いた狭い橋を渡ると登山道のような未舗装の道になります。 中央線をこ線橋で渡り国道20号に戻ると、関野宿跡の案内があります。
道幅は2間余り(約4m)で民家が並んでいましたが、明治22年とそのあとの2度の大火で面影を残す建物のほとんどが焼失して今いました。 現在は道幅は6mほどの道に沿って民家が散在するだけです。



[ 関野宿跡(2025 05 03)]


名倉交差点で国道20号から別れ、樹木に覆われた急な下り坂を進み、下り終えたところで境沢を渡ります。 字のごとく相模(神奈川県)と甲斐(山梨県)の県境を流れる川で、少し下流でダムによって水を満々と湛えた相模川に合流します。 境沢は両側から樹木に覆われ、この時期は藤の花が木に絡みついていました。



[ 境沢(2025 05 03)]


境沢まで降りた分を上る急坂の途中に、諏訪番所跡があります。 番所は木造平屋建て40.25坪の建物でしたが、明治に入り役目を終えると個人の所有になりました。 明治17年には渋沢栄一の別荘となって東京都北区飛鳥山に移されましたが、その後は不明だそうです。 思わぬところで渋沢栄一の登場です。



[ 諏訪番所跡(2025 05 03)]



■14上野原宿(山梨県上野原市)



[ 疱瘡神社と塚場の一里塚(2025 05 03)]


諏訪番所跡の坂を上り中央高速を渡ると、疱瘡神社という恐ろし気な神社の赤い鳥居が見えます。 疱瘡神社は疱瘡(天然痘)から村を守る神社で、神様は越前から勧請されました。 神社の裏に塚場の一里塚の小山がありますが、古墳の一部に造られたとも言われているそうです。 一里塚は旅人の休憩の場でもありますが、疱瘡神社の前では休憩する気が失せてしまいます。
上野原宿に入ると道は直線になり、両側の建物も密度が高くなります。 上野原の街は河岸段丘上に広がり、往時を感じさせる建物は残っていませんが、ほかの宿に比べれば賑わいは残っています。



[ 上野原名物酒饅頭(2025 05 03):写真が下手 ]


道沿いに「酒まんじゅう」の看板や幟が目に付きます。 昔からの上野原の名物だったそうで、お店も大小さまざまです。 折角なので「創業百有余年 永井の酒饅頭」とある小さなお店の酒饅頭を頂きました。 店内にはいろいろな饅頭がありますが、ご主人のお話では「あんまん」と「みそまん」の双方がよく出るそうです。
みそまんを頂くことに。 しっかりとした皮の飾り気のない素朴な饅頭で、百有余年変わらない味なのだろうと思った次第です。 看板に書いてある通り、ご主人とおばさん二人の手で大量の饅頭を作っていました。



[ 脇本陣跡(2025 05 03):ホテルが建つ ]


江戸時代の上野原宿は本陣が1軒、脇本陣が2軒ありましたが、明治、大正の火災でいずれも現存していません。 街並みも火災により大きく変わりましたが、脇本陣があった場所には現在はホテルが建っています。
消防署脇の路地を少し入ったところに、奇跡的に火災から免れた本陣の門がひっそりと残っていました。 個人のお宅の門のようで離れた場所から写真だけ撮って戻りました。



[ 富士山の頂(2025 05 03):富士見横丁から ]


上野原宿は、手前にある山並みの上に富士山の白い山頂が、街道からも見えるようになります。 さすがに近くに来ただけあって、関東平野から見る富士山に比べ、山頂だけでも迫力のある大きさです。 この場所は電柱に富士見横丁とあるので、地元でもそれなりに認知されているスポットのようです。
国道20号に架かる歩道橋に上ればもっとよく見えると思ったのですが、残念ながら電線が富士山の邪魔をしていました。